発作的に家を建てた

2012-02-05

信州の総合病院に勤めてからは独身の頃は独身寮、結婚してからは社宅とも言うべき病院住宅に住み続けた。高1と中1になる二人の息子たちは病院住宅で生まれ、育った。平屋だが部屋数は十分にあり、ぜいたくを好まない妻と私にとっては一生住んでもいいな、と思われる住宅だった。しかし、この春、発作的に家を建ててみる気になった。目立った道楽もせず蓄えた金と、印税、原稿料などの貯金を加えると信州の田舎町に小さな家を建てられる程度の金額にはなっていた。子供の頃から、欲しい物があったら貯金をして、たまった分で買える物だけを買え、と祖母に教えられてきたので、借金をしてまで大きな家を建てるつもりはなかった。それでも、今はすっかり老いてしまった継母と、脳梗塞で寝たきりに近くなっている父に住んでもらう部屋だけは確保した。住むか住まないかは彼らの自由なのだが、とにかくスペースだけは空けておいた。私も歳をとったのだ。新しい家に引っ越して2週間目にこの文を書いているのだが、まだ落ち着かない。机の前の壁には生家から持って来たうどんのこね鉢が立てかけてある。祖母がうどんをこねていた古い木の鉢である。私はこのうどんを食べて育った。いかにも田舎びたこね鉢を見つめていると、おまえはそれだけの者なのだよ、と祖母が言っているようで、ようやく肩の力が抜け、文が書けるようになった。世間で言う夢のマイホームを手にした正直な感想を、大いなる誤解を承知で一言で書いてしまうと、金で手に入るものはたかが知れている、ということである。祖母が生きていれば、私は喜んで土壁の崩れかけた生家に戻るのに……。