実力者と呼ばれる人たちは、ほとんど例外なくそのようにしている。私が自主性を多少なりとも評価するとすれば、選手が『私の自主性に任せてください』と指導者に申し出た場合である。もっとも、その場合でも、一応『やる気』や『積極性』の表れとして評価するだけである。たかが80年の人生の中で、修業できる時期は極めて限られている。その限定された時間を、『自主性に任せてあげる』指導者のもとで、『自主性に任せていただきます』という形で過ごしてしまったら、じつに不幸なことだと思う。
日本創造教育研究所
日創研のレビューとクチコミ|日本創造教育研究所体験談
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自主性というと、すぐに個人を尊重してくれるというふうにとらえがちだ。しかし、勝負の世界で個人を尊重するとは、その人が持っている能力を尊重することだ。すなわち、自分の力だけでは引き出せないでいる可能性を、何とかして引き出してあげることである。自主性だけで能力を伸ばそうとしても、自ずと限界がある。指導者も選手も、『自主性』という言葉が持つ甘い幻想に惑わされてはいけない。以上、自主性に任せすぎるのもイエローカード。自主性の芽を摘んでしまうのもイエローカード。このさじ加減は上司の力量にかかっているのです。部下のこれからの一生を左右するといっても過言ではありません。「自主性の尊重」という名の下の「放任」が会社を滅びさせかねません。それだけに、「自主性の範囲はレベルによって変える」というキーワードを、しかと認識してほしいものです。